イボの投票棄権について
- 2019/07/15
- 05:49
イボナメクジが低レベルの蛸壺ブログを連発していて、そのあまりのバカバカしさに批判する気力も起きなくなってしまっています。
まさに、それがイボの狙いでしたら、私はまんまとそれにハマってしまっています。
しかしそんなことではウルトラアンチの名が廃りますので、どうにか奮起して、道場ブログのヤバさについていちいち突っ込んでいこうと思います。
もはやそんなツッコミなど不要なほど、誰が読んでもヤバイことに気づいているでしょうが、一応念のためにイボたちの発言を記録しておきたいと思います。
さて、蛸壺ブログにツッコミを入れる前に一つ有意義な指摘をしておきましょう。
共産党が健全な保守という異様なねじれ https://www.gosen-dojo.com/blog/22782/
数日前にイボナメクジは「わしは今度は投票に行かない」とブログにて表明しておりましたが、ラッキースケベ師範がその発言に異議を唱えるかのようなブログを数日経ってからアップしました。
すぐに反応したら、イボナメクジの逆鱗に触れると思って少し時間を置いてから遠回しに腐すという方法をとったのでしょう。
笑えるほどの腰抜けですが、何も言わなければ、イボの棄権を肯定したと周囲に思われてしまうと考え、東浩紀を非難するという八つ当たり戦法でどうにか意見表明するのでした。
参院選、期日前投票を済ませた https://www.gosen-dojo.com/blog/22895/
ラッキースケベ師範は「敢えて投票しなければ、他の全ての有権者が棄権しても、それを非難する客観的根拠は持ち得ないはずだ」と思っているのならば、棄権を公言しながら平気な顔をして政治批判しているイボナメクジに対して注意を促すべきでしょう。
それをしないのはお仲間主義というやつなのではないですか?
まあ、実際はお仲間主義なんてものでもなく、ただ単にイボナメクジに絡まれたら厄介だから直接批判することから逃げているのでしょう。
ちなみに、この厄介というのは議論になったら論理的に捩じ伏せられてしまうという意味ではなく、いわゆるクレーマー的な厄介さです。
論理的正当性など微塵もなく、ただしつこく難癖をつけてくるという厄介さです。
ドロヘドロが得意なアレです。
(ラッキースケベ師範の名前の由来は以下リンク先ブログを読んでください→公衆の面前で女子高生のオッパイに触った話 https://www.gosen-dojo.com/blog/18382/)
イボの投票棄権ブログに話を戻しますが、「参院選に全然興味が湧かない。どうでもいいやという感覚だ。」というのは、イボりん先生が馬鹿のひとつ覚えのように口にしているニヒリズムというやつなのではないですか?
自分のニヒリズムは良いニヒリズム。他人のニヒリズムは唾棄すべきニヒリズムとでも言うつもりでしょうか。
彼の二枚舌について批判するのはもう無意味だと思うほど常にその態度を取っていますが、それについてコイツはそういう男だからと看過してしまってはいけないでしょう。
そこで見逃すことはその卑怯な態度を認めてしまうことと同じ意味を持ってしまいます。
ですから、「またかよ」と呆れてしまってもそこで見過ごさずに指摘し続けなければなりません。
イボはブログの中で、彼お得意のフレーズである「真の保守」について語っていますが、この「真の◯◯」というマジックワードを真に受ける奴は真のマヌケでしょう。
まだ二ツ目である落語家が「私は真の真打ちである」と言ってるのと同じで、いやいやそれは自分が決めるものではなく、周りから認められてやっと名乗れるものなのですよと諭す必要があります。
「真の保守」などというのは「自称詩人」みたいなものです。
そんな真の保守イボナメクジは「共産党に投票するのが正解だとは思っている。」と言いながら、自分は投票には行かないと言うのですから、こんな信用ならない奴もいないでしょう。
彼は強固なほどの「負けじ魂」があるようで、自分が投票した立候補者が落選すると屈辱を覚えるのでしょう。
ならば、よくいる爺さん婆さんのように勝ち馬に乗れば良いでしょうに、それはそれでプライドが傷つくようです。
だから、自分の考えが通らないならもう知らないとばかりにニヒリズムに浸り、遁走するのです。
このような卑怯と卑劣だけが友達な言論人というのは意外とそこいらじゅうにいて、イボナメクジはその有象無象の中の一人に過ぎません。
ですから、私が彼だけを責めることについて、イボは「なんでわしだけを狙う。わしと同じことをしている奴は他にもおるやろ。岡田斗司夫しかり、山口敬之しかり。なのにわしだけに執着するのはやめろ」と思っているかもしれませんが、私はあくまでイボウォッチャーでありますし、岡田斗司夫や山口敬之はしっかりとしたジャーナリストたちが監視しているので、シロウトの私が口出しする必要はないでしょう。
イボナメクジ程度の凋落したカスはシロウトに過ぎない私が観察するのがちょうど良いのです。

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まさに、それがイボの狙いでしたら、私はまんまとそれにハマってしまっています。
しかしそんなことではウルトラアンチの名が廃りますので、どうにか奮起して、道場ブログのヤバさについていちいち突っ込んでいこうと思います。
もはやそんなツッコミなど不要なほど、誰が読んでもヤバイことに気づいているでしょうが、一応念のためにイボたちの発言を記録しておきたいと思います。
さて、蛸壺ブログにツッコミを入れる前に一つ有意義な指摘をしておきましょう。
共産党が健全な保守という異様なねじれ https://www.gosen-dojo.com/blog/22782/
数日前にイボナメクジは「わしは今度は投票に行かない」とブログにて表明しておりましたが、ラッキースケベ師範がその発言に異議を唱えるかのようなブログを数日経ってからアップしました。
すぐに反応したら、イボナメクジの逆鱗に触れると思って少し時間を置いてから遠回しに腐すという方法をとったのでしょう。
笑えるほどの腰抜けですが、何も言わなければ、イボの棄権を肯定したと周囲に思われてしまうと考え、東浩紀を非難するという八つ当たり戦法でどうにか意見表明するのでした。
参院選、期日前投票を済ませた https://www.gosen-dojo.com/blog/22895/
ラッキースケベ師範は「敢えて投票しなければ、他の全ての有権者が棄権しても、それを非難する客観的根拠は持ち得ないはずだ」と思っているのならば、棄権を公言しながら平気な顔をして政治批判しているイボナメクジに対して注意を促すべきでしょう。
それをしないのはお仲間主義というやつなのではないですか?
まあ、実際はお仲間主義なんてものでもなく、ただ単にイボナメクジに絡まれたら厄介だから直接批判することから逃げているのでしょう。
ちなみに、この厄介というのは議論になったら論理的に捩じ伏せられてしまうという意味ではなく、いわゆるクレーマー的な厄介さです。
論理的正当性など微塵もなく、ただしつこく難癖をつけてくるという厄介さです。
ドロヘドロが得意なアレです。
(ラッキースケベ師範の名前の由来は以下リンク先ブログを読んでください→公衆の面前で女子高生のオッパイに触った話 https://www.gosen-dojo.com/blog/18382/)
イボの投票棄権ブログに話を戻しますが、「参院選に全然興味が湧かない。どうでもいいやという感覚だ。」というのは、イボりん先生が馬鹿のひとつ覚えのように口にしているニヒリズムというやつなのではないですか?
自分のニヒリズムは良いニヒリズム。他人のニヒリズムは唾棄すべきニヒリズムとでも言うつもりでしょうか。
彼の二枚舌について批判するのはもう無意味だと思うほど常にその態度を取っていますが、それについてコイツはそういう男だからと看過してしまってはいけないでしょう。
そこで見逃すことはその卑怯な態度を認めてしまうことと同じ意味を持ってしまいます。
ですから、「またかよ」と呆れてしまってもそこで見過ごさずに指摘し続けなければなりません。
イボはブログの中で、彼お得意のフレーズである「真の保守」について語っていますが、この「真の◯◯」というマジックワードを真に受ける奴は真のマヌケでしょう。
まだ二ツ目である落語家が「私は真の真打ちである」と言ってるのと同じで、いやいやそれは自分が決めるものではなく、周りから認められてやっと名乗れるものなのですよと諭す必要があります。
「真の保守」などというのは「自称詩人」みたいなものです。
そんな真の保守イボナメクジは「共産党に投票するのが正解だとは思っている。」と言いながら、自分は投票には行かないと言うのですから、こんな信用ならない奴もいないでしょう。
彼は強固なほどの「負けじ魂」があるようで、自分が投票した立候補者が落選すると屈辱を覚えるのでしょう。
ならば、よくいる爺さん婆さんのように勝ち馬に乗れば良いでしょうに、それはそれでプライドが傷つくようです。
だから、自分の考えが通らないならもう知らないとばかりにニヒリズムに浸り、遁走するのです。
このような卑怯と卑劣だけが友達な言論人というのは意外とそこいらじゅうにいて、イボナメクジはその有象無象の中の一人に過ぎません。
ですから、私が彼だけを責めることについて、イボは「なんでわしだけを狙う。わしと同じことをしている奴は他にもおるやろ。岡田斗司夫しかり、山口敬之しかり。なのにわしだけに執着するのはやめろ」と思っているかもしれませんが、私はあくまでイボウォッチャーでありますし、岡田斗司夫や山口敬之はしっかりとしたジャーナリストたちが監視しているので、シロウトの私が口出しする必要はないでしょう。
イボナメクジ程度の凋落したカスはシロウトに過ぎない私が観察するのがちょうど良いのです。

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